3.ガンの宣告の中から見い出した道
石田敏隆(日本福音教会 八尾福音教会員)
「すぐにとって調べてみよう」。
問診をされた芦刈先生がこう言われた。
一九八六年秋。ニューヨーク。
前年に渡米して、日系銀行のシステム開発に携わりはじめてから一年半がたっていた。
翌週すぐに入院。
手術の後、先生は「やっぱりガンだった」と言われた。
仕事に失望し毎晩深夜まで飲み歩いていた末の突然の贈り物だった。
「なぜこの私が?」「真面目に生きてきたじゃないか」不条理を感じた。
その後の治療を受けながら、いつも真っ黒な不安に覆われていた。
ふと、本棚の三浦綾子さんの『道ありき』が目にとまった。
四年前読んで彼女の人間性に感動したことを思い出した。
読み直してみると、前回とは違った感想を持った。
それは「彼女に命を与えたキリスト教とは、イエスの教えとは何なのだろう。どこにそんな力があるのか」というものだった。
そして、そのことが知りたくて、次の日曜日から近くの教会に通い始めた。

教会の人々との交流が始まると、聖書や関連する本を毎日四時間以上むさぼるように読むようになった。
何よりも自分の存在の意義が必要だった。
「なぜ生きているのか、なぜ生きる意味も知らないで生きているのか、なぜ死ぬのか、死ぬことを知っていながら、死を恐れて生きなければならないのか」
私は理神論的な、自分を幸福ならしめる神様を求めて続けていた。
次第に神がわかるような気がした。そして、わずか二カ月で受洗をした。
受洗直後、何かが大きく変わる期待があった。
しかし、自分の内のもろもろの思いは大きく変化していないように感じられた。
その年のクリスマスに、ある姉妹がカードをくださった。
そこには、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(Uコリント五・一七)の言葉があった。
突然、私は涙があふれた。
それは喜びではなく、苦しみの涙だった。
走馬灯のように多くの映像が頭を掠めた。
私の母は子供のために苦労した。
いつも子供の犠牲になってきた。
祖母と一緒に暮らすようになったある日、祖母と母の不仲のことで私は母に「実家に帰れ!!」と言った。
この時の母の悲しみを私は知らない。祖母に対して「もう死んだ方がいい」と考えていた。
その祖母が死んだ時、私の流した涙は安堵の涙だった。
私は祖母の日々の苦しみ、悲しみを知らない。
大学二年の時に付き合っていた相手は特別に好きではなかったが、身体をすり寄せてくる捨てネコのように受け入れた。
付き合いは四年続いた。
彼女は家庭の事で問題を多くかかえていた。
相談されると表面上応答し、結局聞き流して、好きな時だけやさしくしていた。
私は彼女の痛みを知らない。

私は依然として生かされている。
血生臭い身体のままで。
今まで自分一人が苦しみ悩み、傷つけられてきたかのように感じながら、自分だけが頑張って生きてきたかのように思いながら、気付くと自分の手が一番汚れていた。
コリント人への第一の手紙の御言葉は、受洗のはなむけとして、この事を、そして、内在する罪と真の悔い改めを、神様がどんなに私達を愛していらっしゃるかを強烈に示してくれた。

それから、ローマ人への手紙をよく読んだ。
何度も読みながら、消すことのできない罪と、赦しの大きさに圧倒された。
私は罪を犯さないで無罪となったのではなく。
罪があるのに無罪とされたのだ。私の手は血まみれだった。
そして、受洗後も血まみれである。
「しかし霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。・・・すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。わたしたちは、この望みによって救われているのである」(八・一三〜二四))

私が見つけたものは、私のための神様ではなく、神様のための私だった。
こんなに穢れていても愛してくださるお方。私は、いまいましい病にかかった。
できるなら避けたかったと今でも思う。
でも、そのマイナスと思えるような体験を通して、イエス様による救いにあずかる者とさせていただいたのだ。
イエス様の血によりて、私の血生臭い手が清めらている。
これから歩んでいく道を、イエス様の十字架なくしてはありえない自分の道を思いながら祈りをささげた。
(CLC みちしお提供)